出典:NVIDIA Blog
スーパーコンピューターの歴史を振り返ると、その進化は常に「もっと速く」という単純な競争として語られてきた。1960年代にCDCがIBMを追い越し、80年代にクレイが頂点に立ち、2000年代に日本の「地球シミュレータ」が世界を驚かせた。そのたびに「速くなった」という事実は報告されたが、何がどう変わったかは、研究者の外には伝わりにくかった。
速度の話と、問いの話は、長い間ずれ続けてきた。
エクサスケール、すなわち1秒間に100京回の演算というのは、またしても「速くなった」話として消費されるかもしれない。しかし今回ドイツのユーリッヒ研究センターに設置されたスーパーコンピューター「JUPITER」が出し始めた成果は、その文脈では読めない。人間の脳の細胞レベルでのマッピング、1キロメートル解像度での地球全体の気候シミュレーション、50量子ビットの量子コンピューター完全シミュレーション。これらはいずれも、計算資源が足りなかったために「今は無理」とされてきた問いだ。
「今は無理」が「今年の成果」に変わった。それがJUPITERという機械の意味だ。
科学には、問い自体は存在しているのに答えを出すための計算量が足りないという状態が長く続いてきた領域がある。気候科学がその典型で、大気・海洋・陸域・炭素循環をすべて同時に走らせる完全結合モデルは、理論上は構築できても計算コストが現実的でなかった。研究者はどこかを捨て、どこかを粗くして走らせるしかなかった。JUPITERが載せたICONモデルは、24時間の計算で146日分の実際の気候を再現し、世界記録を出した。捨てるものが、なくなった。
このことが何を意味するかは、10年後から逆算するとわかりやすい。計算の制約が問いの制約だった科学領域は、計算制約が外れた瞬間に、問いそのものの地図を描き直す局面に入る。脳科学・気候・量子・通信という4分野が同時にその局面に入り始めたのが、2025年のJUPITERの稼働だ。
誰が得をするかは明確だ。エクサスケール環境にアクセスできる研究機関は、これまで数十年かかっていたシミュレーションサイクルを数日に圧縮できる。一方で、計算資源の壁がそのまま参入障壁だった分野では、壁が下がるほど競争が激しくなる。JUPITERはヨーロッパ一国の話ではなく、科学の生産性という土台そのものの再配分が始まったことを示している。
ハードウェアの話でもある。NVIDIAはGrace Hopper SuperchipとQuantum-X800 InfiniBandを組み合わせ、チップだけでなくネットワーク層まで含めた一体型のエクサスケール環境を構成した。GPUとCPUの統合メモリアーキテクチャが量子シミュレーションの世界記録を可能にしたように、何が限界を決めているかは、チップ単体ではなく、システム全体の設計にある。
「計算が速くなった」という話は今後も続く。ただJUPITERが示したのは、速さが閾値を超えた先に、質的に別の科学が始まるということだ。
3行まとめ
- ドイツ・ユーリッヒ研究センターに設置されたJUPITERは、NVIDIAのGrace Hopper SuperchipとQuantum-X800 InfiniBandを搭載したヨーロッパ初のエクサスケール級スーパーコンピューターで、2025年6月のISCにて成果が発表された。
- 人間の脳マッピング・気候モデリング・6Gネットワーク向けAI開発・量子コンピューターシミュレーションの4分野で、これまで計算量の制約から不可能だった規模の研究が実現している。
- 気候シミュレーションのICONモデルはゴードン・ベル賞を受賞し、量子シミュレーションでは50量子ビットの完全シミュレーションという世界初の記録を達成した。
※以下は詳細
エクサスケールとは何か
エクサスケールとは、1秒間に10の18乗回(100京回)の演算を行う処理能力を指す。JUPITERはNVIDIAのGrace Hopper SuperchipとQuantum-X800 InfiniBandネットワークで構成されており、ヨーロッパで初めてこの水準に達したスーパーコンピューターとして位置づけられる。設置場所はドイツのユーリッヒ研究センターで、2025年6月にドイツ・ハンブルクで開催された国際スーパーコンピューティング会議(ISC)にて主要な研究成果が公表された。
4分野で報告された研究成果
ISCで発表された成果は4分野にわたる。
1つ目は人間の脳マッピング。ユーリッヒ神経科学・医学研究所(INM-1)らが開発した脳微細構造解析の基盤モデル「CytoNet」は、4,096基のNVIDIA Grace Hopper Superchipを使用し、21の死後脳から得られた6.5ペタバイトのデータを5日以内にトレーニングした。個々の細胞レベルの構造と脳全体の組織・機能パターンを結びつけるマップを構築している。
2つ目は気候モデリング。ETHチューリッヒ、ユーリッヒスーパーコンピューティングセンター(JSC)、マックス・プランク気象研究所、NVIDIAなど複数機関が共同開発したICONモデルが、水平解像度1キロメートルで大気・海洋・陸域・生物地球化学・炭素循環をすべて結合したシミュレーションを実現した。20,480基のNVIDIA Grace Hopper Superchip上で稼働し、24時間の計算で約146日分の実際の気候を再現して世界記録を樹立。このプロジェクトはSC25にて気候モデリング分野のゴードン・ベル賞を受賞している。
3つ目は6G向けAI開発。エリクソンとユーリッヒ研究センターが連携し、5Gの継続的発展および6Gネットワーク向けAIの開発にJUPITERを活用している。脳にヒントを得たアーキテクチャによる低エネルギーでの複雑なネットワーク運用の実現を目指しており、ニューロモーフィックアプローチを用いた無線エッジでのエネルギー効率の高いAI推論も研究対象となっている。
4つ目は量子コンピューターシミュレーション。JSCとNVIDIAアプリケーションラボが協力し、50量子ビットの汎用量子コンピューターの完全シミュレーションに世界で初めて成功した(従来記録は48量子ビット)。JUPITERのGH200 Grace Hopper SuperchipのCPU-GPU統合メモリアーキテクチャにより、GPU単体のメモリ容量を超えるデータをCPUメモリにシームレスに展開できることが、この記録達成を可能にした。開発されたシミュレーター「JUQCS-50」は、JSCの量子コンピューターユーザー施設JUNIQを通じて利用可能になる予定だ。
ネットワーク層まで含めたシステム設計
JUPITERのネットワーク基盤にはNVIDIA Quantum-X800 InfiniBandが採用されており、大量のデータを高速に処理ノード間でやり取りする仕組みを担っている。NVIDIAはチップ単体ではなく、ネットワーク層まで含めた一体型の構成でエクサスケール環境を提供している。CPU-GPU統合メモリアーキテクチャが量子シミュレーションの世界記録に直接寄与したように、システム全体の設計が性能の上限を決める要素となっている点が、今回の発表で示された。
全体まとめ
ヨーロッパ初のエクサスケールスーパーコンピューターJUPITERが、脳科学・気候・6G・量子の4分野で実際の研究成果を出し始めた。NVIDIAのGrace Hopper SuperchipとQuantum-X800 InfiniBandが基盤を担い、気候シミュレーション分野のゴードン・ベル賞受賞と50量子ビット完全シミュレーションの世界初達成という具体的な記録が報告されている。ユーリッヒスーパーコンピューティングセンター所長のトーマス・リッパート氏は「JUPITERによってヨーロッパはエクサスケール時代に加わるだけでなく、世界で最も広範な科学とAIの領域においてリードしている」と述べている。